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これからお届けする短編小説のようなお話には、昨今その存在が問われることの多い、エビデンスは見当たりません。
最後までご一読いただいたその後、みなさんは何を感じていただけるでしょうか?
目次
- 天命を知る年齢を前に早期退職を選んだ男の独り言
- 2番手の人材を採らねば自分が弾き出される?
- 会社にとっては歴代上位の採用担当者として
- I am always(私は常に)灯台下暗し
- 後輩に告ぐ!自己設定すべきハードルの高さは及第点の少し上
- 最後に
天命を知る年齢を前に早期退職を選んだ男の独り言
あと10年しがみつけば、定年退職という自分にできる精一杯の花道を歩けるはずだった。
窓際族に追いやられたとも、自分自身の能力不足だったとも思わないし、思いたくはない。
自分の会社員人生の終章、その何割かは私自身が招いたと思えば、辻褄が合ってしまうから不思議だ。
新卒入社から27年間、総務畑一筋で会社に尽くしてきたつもりだったが、50歳目前で突然の異動辞令。
しかも配属先は営業畑と告げられた瞬間、衝撃で頭の中が真っ白になる、ってヤツを経験したよ。
暗に年功序列の価値観が根強い社風、肩書こそ自身への配慮が見られたけれど、実際は単なるお荷物。
年下の先輩格もやりにくかっただろう……申し訳なかったな。
若い頃の総務部勤務は、物足りなさと優越感が入り混じっていたよな。
営業その他に配属された同期たちは、若い世代同士で楽しそうだったけれど、自分の周囲は年上ばかり。
ランチも無理矢理和食に引きずられていく連続で、自分でも年齢不相応に老け込んでいくのを実感していたっけ。
仕事は地味な事務作業プラス、取引先の冠婚葬祭の『葬』対応が大半……次の仕事、葬儀屋さんのバイトスタッフに応募してみるかな?
そうそう、あの頃心密かに「綺麗な娘だな」って思っていた同僚の女の子が、社内の俺のあだ名だった『助六』の名付け親だったとは、ショックだったな。
年の離れた上司と、ランチといえば寿司もしくは蕎麦(そば)ばかりだったから、そこからイメージしたんだろうな。
結局社内のイケメン出世頭と結ばれて寿退職だったけれど、俺は披露宴後の二次会にも招かれなかったっけ。
いつしか『下積み』って感覚すら失われ、ただ淡々と1週間・1ヵ月・1年単位を繰り返すばかり。
そして30歳を過ぎた頃に、総務部内で小さな異動があったあの瞬間に、今日という結末が確定していたんだろうね。
2番手の人材を採らねば自分が弾き出される?
おそらく多くの企業も、掘り下げてみれば同じなのだろうと、妙な確信が揺らぎません。
とりわけ中途採用に際しては、これが暗黙の了解というか、鉄則なのだろうと。
全応募者の中で最も優秀と思われる人材は不採用で、2番手を採ることこそが、総合的な自己防衛。
ピン!と来た人は、おそらく一握りかと思うので、その理由を聞いてやってください。
たとえばプロ野球などのプロスポーツの世界では、それぞれ専属のスカウトマンが、より将来性が見込まれる人材の争奪戦を繰り広げていますよね。
自身がスカウトした人材が無事に入団(入門)から大成すれば、それが自身の評価につながり、立場は安泰プラス報酬面も右肩上がりです。
100%全力で、自社のために頑張る採用であり、自身が目をつけた人材の活躍を、心の底から素直に喜べますし、自身の働きに誇りを感じられます。
対して私の立ち位置は、自身の保身という、卑怯といえば卑怯ですが、食って生きていくためには必要不可欠な、この対策が欠かせません。
大いなる可能性を確信した、将来性に富んだ人材だと映った人材を採用することが、会社から命じられた、私の職責でした。
しかしながらこうした人材は、近い将来、ようやく掴み取った、社内における私のポジションを、一気に横取りしないとも限りません。
会社の未来のために最高の仕事をした代償が、自らのピンチとなってしまえば、悔やんでも悔やみきれないのが正直なところなのは、みなさんも一緒でしょ?
人事課で人材採用に携わる人間は、組織の中の一握りです。
最初は先輩につく形で、段階を踏んで仕事を覚えるなか、会社の気質や価値観などを心身に沁み込ませ、期待に沿った人材を選ぶ眼力を身につけていきます。
会社の価値観に自ら洗脳されることで、会社にとって安心できる人事課の人間と評価される。
『洗脳』はいささか過激ですが、朱に交わればなんとやら……これも処世術だという現実を、この頃には諦め半分で疑う姿勢もなく、受け入れていましたね。
会社にとっては歴代上位の採用担当者として
子どもの頃から『真面目君』だった私です。
先にお話しした保身に走る立ち回る器用さも持ち合わせぬまま、会社の期待に全力で応えようと、頑張ってしまいました。
「頑張ってしまった」
この表現、個人的には秀逸ですが、伝わりませんよね?
努力は報われてしまうらしく、社内での評価は着実にアップし、40歳を迎える前には、採用関連の実質的なトップの権限を与えられていました。
諸先輩からの風当たりは、当然強くなってしまいましたが、当時の私からすれば、言葉は失礼極まりないですが、これで一刀両断でした。
「下々(しもじも)のやっかみなど雑音にもならない!能力無きものは去れ!」
会社に評価されたことで、私の視野は狭くなると同時に、当時は『自信』だと思っていましたが、今振り返れば『驕り』が膨らんでいましたね。
ここで気づきました。
いつしか丁寧な口調で話していることに。
会社を離れたことで、謙虚さならぬ、元来の神経質で小心者の私自身を、取り戻せているのでしょう。
そして人が天命を知るとされる、50歳へのカウントダウンが進む中、自身の運命を左右する人材を、私は採用してしまいました。
中途採用というよりはヘッドハンティングに近い、これまでの仕事の中でも、かなりイレギュラーな流れでした。
上層部にはそれなりの思惑があったのでしょうが、会社に忠誠を尽くし貢献することで心身一杯だった私は、
I am always(私は常に)灯台下暗し
和洋折衷語にもならない妙な造語ですが、この時自身の後継者を確保してしまったのです。
後輩に告ぐ!自己設定すべきハードルの高さは及第点の少し上
会社期待の星を、付き人の距離感の直属の部下に従え、私は得意満面でした。
1人の社会人としての能力はもちろん、人間的魅力も嫌味なく半端ない、眩しいほどの人材との日々は、入社後最も心地好く感じられました。
助六相応の年齢となった私は、自らがスポットライトを浴びることこそありませんでしたが、プロ野球の世界に置き換えれば、まぎれもなく名スカウト。
自らが採用した若い人材も、年々着実に育ち、会社に貢献しているその姿もまた、大きな心の栄養素でした。
ここで今一度。
I am always(私は常に)灯台下暗し
意気揚々と会社員生活を歩み続ける私の足下の目前に、大きな落とし穴が口を開けるその瞬間が、突然ならぬ用意周到に届けられてしまいました。
辞令・営業部〇〇課への異動を命ずる。
拒否すればその先は自主退職の、一方的な究極の二者択一ですが、会社という組織内では当たり前の辞令であり、違法でも〇〇ハラスメントでもありません。
自身がその可能性に惚れ込み、自身と責任を持って会社のために採用を決定し、手塩にかけて育んだ人材が、
「今までお疲れさまでした。今後は私にお任せください」
会社が描いた筋書きから寸分外れることなく、私の肩を叩いた瞬間でした。
最後に
営業経験ゼロの五十路目前が、バリバリ現役の20~30代の後輩たちに、表向きこそ丁寧語で叱咤激励を受けた挙句、遂には呆れられる日々。
「いい年してそれでは、精神的に弱すぎるゾ」
返す言葉もないまま、私は心身を病んでしまい、表向きは求職願いも、その実は出社拒否状態に陥ってしまいました。
誰のせいでも、どこにも悪意は見当たりません。
すべて私自身の力量と器不足です。
そして総務課人事部に人生を捧げた果ての早期退職で得た、後悔先に立たぬ学びが、このノウハウでした。
全応募者の中で最も優秀と思われる人材は不採用で、2番手を採ることこそが、総合的な自己防衛
ストレートにお話しましょう。
「こいつなら将来、俺の椅子を脅かすまでには至らないだろうけど、会社にそれなりに貢献できるだろうから、俺の一定の評価にはつながるだろう」
これすなわち、及第点より少しだけ高いハードルをクリアすること。
『背広組』や『企業戦士』などの表現も、昨今は用いることを咎める傾向が見られるようですが、あえて言わせてやってください。
私はプロ野球のスカウトマンではなく、背広組が企業戦士として、社内の椅子取りゲームを繰り広げる世界の、参加者選考係でした。
おかげさまで退職から数ヵ月、随分元気が戻ってきました。
このまま延々リタイア生活を過ごせるだけの経済力はありませんし、まだ隠居は早いと、自身に言い聞かせる毎日です。
数十年振りに、今度は私が選考される側に挑戦です。
1番ではない人間力ですから、灯台元をきちんと見据えた採用担当者であれば……能力不足で不採用の可能性大でしょうけど、頑張ってみます。
天命を知るタイミングからの人生の次章の扉は、この手で開いてみせます!